コード屋日記U
■2011/08/27(Sat) エヴァ新劇場版を見て
テレビで放送されるというので、エヴァの新劇場版というやつを見てやることにした。
この劇場版、制作発表の時点から既に、色々と嫌な予感がしていてスルーしていたのだが、およそ予感は正しかった。
過去にもリメイクして良くなった作品というものは稀なのだが、エヴァも多分に漏れず、元のエヴァが当時の水準で「20話くらいまでならとても面白い」という「食えるレベル」であったとするなら、およそ食えるかすら微妙な、何を伝えようとしているのかわからないゴミと化してしまった…。
正直いって、この作品に落とすお金があるなら、そのお金をより新しい新進気鋭の作家のために使ってあげたほうが良い。漫画やアニメのストーリー技術は日々進歩している。より「見る価値のある」作品は9割の駄作の中からも日々生まれているのであって、過去の名作は過去のものでしかないのだ。エヴァを見に劇場に行くより、まずは現在放映中の神様ドォルズを見よと。
劇中に「今日の日はさようなら」や「翼を下さい」が挿入歌として入っているのだが、私はこの曲が流れて爆笑してしまった。
本来シリアスなはずのシーンで客を笑わせてどうするのかと。感情移入と対極にある状態を故意に作り出して、作り手は一体何を考えているのだろうか。
何を思ってこのように改変したのかは分からないが、元の作品において数少ない面白かったと感じた部分、例えばアスカなりミサトなりの葛藤描写がほとんど失われていて、絵が綺麗で演出が上手いだけのムービーと化してしまった。
売れた作品には、後世においても観る価値のある名作と、一過性で終わるものの二種類があると考えているが、エヴァは後者に近づいているように思う。
■2011/05/14(Sat) 今回の原発事故は「事後対応のまずさ」によって起きたというデマ
福島原発事故「多くが人災」=原子力専門委員が指摘
なお、「専門委員」の名に反して、この青山繁晴という人物は専門家でも何でもないし(というかそもそも文系)、思想面でも「保守系」に類する自民党寄りの人間である。
青山繁晴 - Wikipedia
ここでもまた、「首相の視察を出迎えるために準備が遅れた」(だから首相が悪い)のような主張が繰り返されているが、これは、信頼できる筋からの情報ではなく、官邸側も東電側も一貫して否定している。よって、根拠の無い憶測、悪く言えば「デマ」に過ぎない。「デマに踊らされるな」といいつつ、国会で堂々とデマを語るとは自民も地に落ちたものだ。
そもそも、こういったシステムは組織の規則に基づいて運用されているのであって、首相が来るからといって運用内容が変わるなどということがあったら、それは大問題であるし、運用体制の欠陥である。もしそのようなことがあるとしたら、首相が視察したことよりも、「前政権が作ったシステム」の運用体制の欠陥が指摘されるべきである。
また、仮に、ここで言われているように、津波後の対応がまずかったから放射能がまき散らされた、のなら、対応が良ければ放射能の飛散を防げたことになる。
しかし、現実には4基もの原発が放射能をまき散らした。対応が良ければで4基を3基に減らせたかも知れないが、事故そのものを防止できたのか? と言われれば答えはノーである。
原発事故の責任が、現政権よりもむしろ前政権にあることは、海外の「保守系」メディアも認めている常識事項である。
すなわち、この主張は、「原発を作ったことそのもの」への責任を回避して
・今回の事故の責任を現政権のせいにしたい
という自民党(や、当時自民に所属した民主議員の一部)の願望から生まれた幻のようなものだ。
これに騙されている一部マスコミ、「保守系論客(笑)」とも阿呆としか言いようがない。
■2010/11/21(Sun) 知性の劣化 〜自民には莫迦しかいなくなったのか〜
「暴力装置」とは正しい政治用語であり、警察や軍、自衛隊の総称であって、「国家による暴力の独占」という国家の必須要件を論ずる用語である。
が、これを使ったところ激怒した議員がいたらしい。その名は世耕。彼にはキング・オブ・莫迦の称号を贈りたい。
そもそも、自民党政権で防衛大臣経験者の石破氏も「警察や軍といった暴力装置」のように同じ言葉を使っているのにね。
よもや、外国の軍や警察を「暴力装置」というのはOKだが、日本のそれだとNGなどとは言うまい。あるいは、敵(民主)が使うのは駄目で味方(自民)が使うのは良いのかと。あほか。
考えられる可能性としては、
1. 世耕氏がこの用語を聞いたことすらなかった。
まさかとは思うが、もし、そうであるなら議員を辞めたほうが良い。
2. 知っているが左翼が使う用語だと思っていた等
知っていることと、意味を正しく理解していることは別のこと。
正しく意味を把握しているのであれば、怒り出すのはそもそもおかしい。「暴力装置」とは侮辱のための言葉ではない。
怒り出すのは正しく意味を理解していない証拠。
おまけ:麻生元首相
漢字を間違えることくらい誰にでもあるし、そのくらいでアホウ首相というのは下品であまり感心できない。小人のすることである。
しかしながら、今回、彼は、世耕に同調して「暴力装置たる自衛隊、とは失礼な表現」などと怒っていたそうだ。これについては阿呆の称号を贈りたい。
議会とは議論をする場所であって、それは正しい用語を使って客観的に行なわれなくてはいけない。「失礼」「不敬」などといって正しい用語の使用をやめることなど愚の骨頂であり、それはもはや議会ではなく儀会である。
警察にしろ自衛隊にしろ、国を成り立たせるために欠かせないものであるという側面と同時に、制御を誤ると大変なことになるという側面を持つ。
「暴力装置」という言葉には、その出自上、国家によって独占した上で、かつ法のもとに厳格な管理を行なうべきもの、との前提がある。さもなくば、国を守るどころか大惨事を引き起こす。
これを蔑ろにしてしまった挙句に数々のクーデターを発生し、無謀な戦争を始めて大惨事に至ったのが戦前の日本であるわけで、自民の議員どもは既にこの歴史的教訓を忘れてしまったらしい。
戦後日本における古典的左翼は、軍などの武力の存在自体を無条件に悪とする。
一方で右翼は無条件に善とする。
どちらも間違っており、本当に必要なのは「法の支配と民主的監視の下にある武力」であるわけで、それを身をもって体験した、古きよき時代の自民党議員はそれを理解していた。
だが、その後を継いだものたちは、そのことを忘れて単なる「右翼」に成り下がったものと思われる。
■2010/09/13(Mon) 馬脚を現した偽善団体「日本ユニセフ」
一般人を相手にした"恫喝"? 日本ユニセフ協会批判サイトが訴えられた! (livedoor / 日刊サイゾー)
止めろ!規制社会・監視国家ブログ版
このサイトのユニセフ批判は7割くらいは正しいとは思うが、いくらかは事実と異なるようにも思う。
しかし、自らに批判的なブログをやっている素人さんに100万円単位の賠償を求めるというのが、「慈善団体」のやることかと。
自分らが気に食わない漫画類を法規制せよ、という、憲法違反の「提言」をするだけでなく、一般市民を恫喝するようになったか。行動様式がヤクザやカルトと類似しつつある。
営利企業でもここまでするタカ派は少数なのにね。やれやれ。
同じユニセフ関係でも、黒柳徹子女史の動力源は「愛」なのだが、日本ユニセフの児ポ関連のプレゼンを見る限り、彼らの動力源は「憎悪」とか「怒り」とか暗黒面の感情に見える。憎悪から愛が生まれることは無いし、憎悪は憎悪の連鎖を呼ぶ。2008年のあのキャンペーン以降、ユニセフに対する中傷が目に見えて増えたことからもこれは明白。
彼ら日本ユニセフは元々純粋な慈善の精神でやっていたのかもしれないけど、児童ポルノの件で、「悪人をやっつける快感」というのに味を占めてしまったのだろう。
結果、児童ポルノだけでなく、当面放置しておいても特に問題のないようなエロ漫画家までを相手にして、敵と戦うことに喜びと生きがいを見出すようになった。
これは、平和国家が戦争国家に転じるのと似ている。十字軍と同じ。人間の心の暗黒面って恐ろしい。
■2010/08/08(Sun) 舛添氏はやはりアホだ
去年の敗退以後、自民党のウォッチを怠っていたが、今更ながら舛添氏の馬鹿発言を発見。
「現金をばらまいて、お母さんが酒を飲んだり、カラオケしたり、パチンコ行ったら学費に回らない」
「民主党政権で2万6000円のこども手当を配ると、親がパチンコなどに使ってしまう」
良い学校に行っても馬鹿になる奴はいるということを再確認した。
私の母校にも実際いたしね。
そもそも、現代社会において、子供一人を月額26000円以下で育てることは不可能である。舛添は庶民的な金銭感覚すらないのだろう。
親がパチンコにいくら投入しようが、酒を飲んでいようが関係なく、子供がいる限りは26000円以上を子供に投入することになる。
従って、子供手当を子供以外に投入することは実際には不可能である。
子供手当分で増えた収入を酒に投入した親が仮にいたとしても、それは「本来自分のために使うお金を子供に使っていた」が、「子供に必要なお金を子供手当から賄うようにになった」に変わったに過ぎない。
「庶民が子供作るなら、自分の生活を切り詰めまくって貧困生活して下さいね」という状態が少子化を招く一因になっているわけで、諸外国の類似制度を見ても、基本的な発想は同様のはず。これは、子供のための施策であると同時に、子供が生まれた場合であっても親が健康で文化的な生活を維持するためのものでもある。
パチンコ業界云々以前に、このような当然の考えに及ばぬというのは、やはり何か頭のネジが外れてるとしか。
批判をするならまともな理論構築をしてから来やがれと。
ちなみに、対案として考えられる現物支給論は、かなり熟考しないと新しい業界利権が発生すると思われる。
そういえば、舛添氏は憲法改正議論でも表現の自由を制限するなどという危険な思想を披露していたようで、まったくもって今の自民党にはまともな人物がいないと再確認できた。
前世紀、テレビで解説委員してた頃は、割とまともな人に見えたんだけどね、この人は…。
■2010/08/01(Sun) バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
1.子どもへの方策 - 教育改革国民会議第1分科会(第4回)一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)-
ちょうど10年前の文書だが、某所で引用されていたので今更ながらコメント。
全体を通じてかなり笑える文書だとは思うが、自民党などに巣食う「自称保守」の政治家の頭の中など、これと大差ないだろう。
中でもひときわ凄いのが、
「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」
の一文。
バーチャルリアリティの最大の意義とは、自分が実際にしたことのない事柄を、疑似的に体験できることである。
人生は有限であるし、一人の人間が直接体験できることなど限られている。
良質な戦略シミュレーションなども、バーチャルリアリティの一種であり、これによって愚かな勝ち目の無い戦いを未然に防ぐという、代えがたい効果がある。
この意義は、書を読むことと、とても類似している。
というより、書を読む行為も、一種の疑似体験であり、バーチャルリアリティである。バーチャルリアリティという言葉自体が、疑似体験の類義語である。
書を読むことは一方的に情報を受け取るだけであるが、バーチャルリアリティは対話的で、正しく活用できれば、書とは違う性質の知見を得ることも可能だ。
実は、書を読むことも、善いこととされていた時代は少ない。
昔の専制権力者は、民衆が書を読み、知見を得ることを悪としたのだ。
当時の政府が召集した自称有識者というのは、歴史も知らぬ阿呆なのか、民主主義を転覆せんとする悪魔に魂を売ったのか。
くれぐれも政治家に騙されぬよう。
■2010/07/19(Mon) 私は「みんな」を多用する人間を信用しないことにしている
揚げ足取りをする気はないのだが、そういう名前の政党が台頭したと聞いたので。
「みんな」の用例として、ありがちな例を下記に示す。
・みんな○○だと思ってるよ。
・みんなが○○だと言ってた。
いつも思うのだが「みんな」って誰よ? そんな名前の奴がどこにいる?
「みんな」を多用する人間がよく使う手というのは、「自分が思っている」ことを勝手に「みんな」に代弁させて、発言の責任をあやふやにすることである。
これは、他人を尊重していると見せかけておいて、権威として利用しつつ責任逃れもするという稚拙で不誠実な態度にほかならないし、重大な欺瞞である。
さて、「みんなの党」の英文名称は"Your Party"らしい。笑ってしまう。
正直に"All Jananese Party"とか"All National Party"にすればいいのにね。
まあ、実際にそんな名前にしたら、賢明な諸外国の知識人から全体主義者だと思われてしまうだろうけどね…。
日本人を馬鹿にしてるのかね。このネーミングの使い分けは。
切って出し日記 Ver1.4 by CGI-PLANT
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